「背番号55」 秋広優人。2017年の大田泰示に続き電撃トレード“重すぎる背番号”の宿命か

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2025年5月、読売ジャイアンツの秋広優人選手が、大江竜聖投手とともに福岡ソフトバンクホークスへ電撃トレードされました。

注目されたのは、秋広が背負っていた「背番号55番」。この番号はゴジラこと松井秀喜氏がかつて着けていた、巨人の中でも特別な意味を持つ背番号です。

松井選手のあと、2009年に東海大相模からドラフト1位で入団した大田泰示選手が「55番」を背負いましたが、5年目のオフに背番号を変更、その後2016年オフに日本ハムへトレードになってます。そして今回、秋広選手もソフトバンクへのトレードと55番の重圧があるのかもしれません。

奇しくも、松井(星稜)、大田(東海大相模)、秋広(二松学舎大付)といずれも「高校野球の強豪校」出身のスラッガー。

この記事では、巨人の「背番号55番」が背負う期待と重圧、そして松井、大田、秋広の高校時代とプロ入り後の活躍を振り返ってみたいと思います。





巨人 ソフトバンクの電撃トレード

2025年5月、シーズン真っただ中に巨人の秋広優人選手と大江竜聖投手が、ソフトバンクのリチャード選手との1対2トレードで移籍。
秋広は将来を期待された左打ちの大型スラッガーで、背番号55を託されていた存在です。シーズン前半の時期に期待の若手トレードという異例の展開に、ファンや球界関係者の間でも驚きの声が広がりました。

巨人“背番号55番”の歴史

秋広選手が付けていた、巨人の背番号55番。1992年星稜高校からドラフト1位で入団した松井秀喜選手の活躍により、背番号55は巨人だけでなく日本プロ野球全体で“スラッガーの象徴”の意味を持つようになりました。

巨人の55番は、松井以前は淡口憲治選手、吉村禎章選手などのオールドファンにはなじみのある選手が着用していましたが、いまでは「55=ゴジラ松井」というイメージが強くなってます。

余談ではありますが、松井選手が背番号「55」になった経緯は、巨人時代に年間最多の55本塁打を放った王貞治の数字にあやかったものだとも言われてます。

松井選手以降の巨人55番を背負った選手。

シーズン選手名
1993~2002松井秀喜
2009~2013大田泰示
2022~2025途中秋広優人

松井秀喜|「55番」の代名詞となったゴジラ

皆さんご存じのゴジラ松井選手について簡単に。。。

高校時代

石川県の星稜高校で4度の甲子園出場。2年生の夏にはベスト4。3年夏の甲子園では伝説となっている「5打席連続敬遠」でも知られています。

プロ入り後

1992年ドラフト1位で巨人入団。2002年まで巨人の主力として活躍した後にFAでNYヤンキースへ移籍。ヤンキースでは2009年のワールドシリーズ優勝に貢献してMVP獲得と日米で素晴らしい成績を残しました。


大田泰示|プロ入り即「55番」を託された男

松井選手の後に巨人の番を背負った大田泰示選手について

高校時代

神奈川の名門、東海大相模出身。高校時代には、夏の神奈川県大会では3年連続の決勝での敗退と甲子園出場とは縁が無かったが、強打者として注目される存在に。当時の東海大相模の1年先輩に菅野がいました。

高校3年秋の2008年ドラフト会議で巨人とソフトバンクから1位指名、東海大相模OBでもある巨人の原辰徳監督(当時)が当たりくじを引き当て巨人が指名権獲得して入団へ。

プロ入り後

巨人ではなかなか結果を残せず、一軍定着には至らなかったが、長打力は評価され続けました。

2013年オフに55番から44番へと背番号を変更。2014~2016は毎年40試合以上に出場しましたが、レギュラー獲得までは至らず、2016年のオフに日ハムへトレード移籍することとなりました。

トレード後の活躍

2017年に日本ハムへトレード移籍後にブレイク。2017年から2020年までの4年間では二桁ホームランを記録しレギュラーとして活躍。2019年にはキャリアハイとなる20本塁打、2020年にはゴールデングラブ(GG)賞も獲得と移籍によ才能が開花しました。

その後、2022年からはDeNAに移籍し2024年のオフに現役引退をしました。

記録よりも記憶に残るスラッガーでした。


秋広優人|2年目で「55番」を背負った超大型選手

大田選手の後に55番をつけた秋広選手。

高校時代

東京の二松学舎大付高校出身。1年の夏(2018年)にチームは甲子園出場していますが記録がないのでベンチから外れていたものと思われます。2020年の3年の時はコロナの影響で夏の選手権は中止と高校時代は甲子園には出場できませんでした。

高校時代は投手も務め高校通算23本塁打と投打に渡って活躍した2メートルの大型野手。2020年ドラフト5位で巨人に入団。

プロ入り後

プロ入り1年目の2021年は1試合のみの出場でしたが、オフに背番号68から55への変更。2022年は「55番」を背負い、イースタン・リーグで最多安打を記録するも、一軍出場はありませんでした。2023年には121試合に出場し活躍するも、2024年は26試合の出場にとどまり飛躍まであと一歩という状態。

そして、2025年の5月に電撃トレード。


まとめ 大田に続いてのトレード移籍|「55番」の重圧があったのか?

大田泰示(東海大相模)、秋広優人(二松学舎大付)、そして松井秀喜(星稜)。高校野球ファンなら誰もが知る、強豪校出身のスラッガーたちです。そして、高卒での即プロ入りと共通点はあると思います。夏の甲子園シーズンで高校の名前を聞く時にふと思い出しそうです。

太田、秋広といった55番を託された期待の選手がトレードに出されてしまうのは、やはり55番という期待の重圧と偉大なゴジラの影響もあったのかなと思ってしまいます。秋広選手には大田選手が移籍先の日ハムでレギュラーをつかんだように、活躍の場が広がる可能性がありますので今後に期待したいです。

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